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| はじめにを引用 | ||||||||
| 平成8年4月より12年8月までの4年と余月、41号にわたって社団法人日本造園建設業協会発行の機関紙・月刊『日造協』の紙面の一部に連載させていただいた「造園技術、伝統の技」をまとめた総集編として発刊するに際して、誠にお恥かしい次第ながら文章の修整、あるいは文中に多少の申し添えなどを付け加えさせていただぎました。今までに配布されました紙面文語に少々異なった点があろうかと思われますが、ここにお許しを願いますと同時に、私どもの若ぎ日の修業のありようと、現在の若者達の作業振りや考え方等について述べてみたいと思います。 現在、私などは各作業の技術水準もまだまだで、ものの例えで言うならば三角形の底辺の一部をさまよっている者の一人ではあるまいかと思っております。その私達の修業時代、技術は親方や先輩から教わるものではなく、言葉は悪いものの、盗むものであると心得えさせられたものです。事実、私の師匠である父なども、親子であってもなかなか教えてはくれず、「見て覚えろ」の一点張りでありました。 話は少々横道にそれますが、剣聖といわれた宮本武蔵が武者修業中、柳生の里を訪れ、石州斎に一手の御指南をと数日逗留したが、会うことを許されず、しぴれを切らせて居る時、柳生家のお女中が盆の上に一輪のボタンの花を武蔵の前に置ぎ礼をして立ち去りました。武蔵は早速その花を手に取り、美しい花よりも石州斎が切ったその茎の見事さに思わず感嘆し、己の技の未熟を知り柳生の里を立ち去ったと言います。この事実は週去の私達の若ぎ修業時と相通ずる何物かがあり、今も胸の奥に残っています。 戦後間もなく徒弟制度が廃止され、自由が尊重されるや若者にとって技術の修業が薄らいでしまい、伝統的なものづくりの基本理念から遠く離脱して自由な構想と変り、昔の優雅な面影が消え去ってしまいました。誠に残念なことであると思います。時の流れは刻々と移り変わり、21世紀には、宇宙に人類が住むと言う日も夢ではありません。しかし、そうであっても人の心の奥底は、やはり自然の恵みと、自然の美しさを求めて止まないものでしよう。その恵みと美しさを限られた空間の中に作り出す我われ造園家にとっては、伝統的な技能を蓄わえ、さらに現世の二一ズに適応し、折衷した庭づくりが必ずや切望されるものです。 さて・そうした庭づくりの中に日本人ならではの佗、寂の心境をかもし出し、表現するものがあります。水を利用して音響を蘇生させ、その妙音を楽しむ蘇生技法である伝統的な水琴窟(すいきんくつ)、僧都(ししおどし)は、その1つといえるでしょう。そこで、この機会に、こうした技法やその他の作業など、先人達が伝統技法を受け継ぎ、現代に伝授してきた撤密で精度の高い諸作業や工法である在来工法。また、近代的で合理性に富んだ機械化工法。加えて両工法の折衷工法での作業等。さらに、作業員すなわち職人が作り上げた基本的な各種に及ぶ作業要項や一連の諸工法並びに作業で使用する大道具、小道具類、建設用重機類等、さらに作業で必要となる諸材料等を紹介、あるいは事例をもって解説させていただぎたいと思います。 本著が、読者並びに造園にかかわる方々、また、これらの方々が造られた庭や公園などを利用される方々のお役に立てぱ幸いです。 |
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