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眞・行・草の平庭について
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| はじめに | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 日比谷公園開園100周年記念日比谷公園ガーデニングショーにおいて、都内造園・緑化業129社で構成する社団法人東京都造園緑化業協会は、伝統文化である日本庭園を出展し、多くのみなさまに鑑賞していただく事としました。 わが国においては、奈良・平安時代になると社寺や貴族の屋敷などに多くの庭園が造られるようになりました。そして、平安時代には目本最古の庭園書である作庭記が世に出されました。この作者は橘俊綱であることが、現在定説となっています。以来、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代の造園に多くの影響をあたえました。江戸時代の中期になると、世の中も太平になり庶民の文化も大きく花開きました。そして、一般庶民も庭園造りについての関心も深まりました。そして多くの庭園に関する書物が出版されました。享保二十年(1735)には、北村援琴が「築山庭造伝」、籬島軒秋里が寛政十一年(1799)に「都泉林泉名勝図会」、更に文政十年(1827)に「石組園生八重垣伝」を著しました。そして、秋里は前記北村援琴の「築山庭造伝」を一層具体化すると同時に、「石組園生八重垣伝」を一部改作し、「築山庭造伝」を出版しました。これが文政十二年(1829)の奥付となっています。後世において北村援琴の著書を築山庭造伝前編とし、籬島軒秋里の著書を「築山庭造伝後編」とされました。これらは、現在目本庭園に携わる造園家にとって必読書となっています。 日本庭園の形式はいくつかありますが、ここに出展した庭園は築庭の基本となる平庭(築山を造らず全体が平とした庭)とし、「眞」、「行」、「草」、三つの形式の築庭技法を「築山庭造伝」の伝記より構成、比較展示したものです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 行の平面図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 一、「眞の平庭」の見どころ | 眞の平庭の図面を閲覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「眞の平庭」は、全体として、全ての形態を完備して丹精にまとめた庭す。 竹垣のうち目隠しの役割をする代表的なものは、建仁寺垣であり、見透せる垣根(透かし垣)の代表的なものが四ツ目垣である。この両者には「眞」、「行」、「草」、の作事技法があります。したがって「眞」の平庭には「眞」の建仁寺垣と「眞」の四ツ目垣を採用しています。また、袖垣は切妻屋根付きの源氏垣を採用しました。さらに、延段にも「眞」、「行」、「草」、の作事技法があり「眞の延段」は加工した敷石(切石)により組まれています。景石等(守護石、月陰石組、二神石、寂然体石組、請造体石組、その他の石組)は比較的表情の硬い筑波石(筑波山麓で産出する石)を用いています。手水鉢は縁先手水鉢形式で水鉢はなつめ鉢、鉢囲いの役石は五石で構成しました。石燈籠は基壇基礎、竿、中台、火袋、花請、宝珠等の整ったものとしました。組井筒は切石角形としました。そして、敷砂利は数条の流れを表現し、植栽は庭全体に緑を配しながらも、草花の色彩は目本庭園の俺び寂びの中にあって緒麗寂びを象徴するものとしました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 二、「行の平庭」の見どころ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 行の平庭図面を閲覧 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「草の平庭」が全体として略式(くずした形)で、柔らかくまとめた庭と云えます。「行の平庭」は「眞の平庭」と「草の平庭」の中間とする庭です。したがって建仁寺垣、四ツ目垣は共に「行」の手法としました。つまり、建仁寺垣は胴縁、押縁の竹は割間を違え、天端(一番上の端)に玉縁を掛けず振り放しの手法としました。四ツ目垣は胴縁竹の割間、胴縁、立子竹共に吹寄せ竹(二本一組)を随所に使い、結東においてもいわゆる「かいづるからげ」手法としました。延段は切石と自然に丸みをおびた石を取り合わせた「行の延段」としました。手水鉢は「眞の平庭」と同じ形式ですが、水鉢については露結型水鉢とし.ました。石燈籠は基壇基礎作り物と竿の元部まで埋め込む露地型としました。そして三重宝塔は塔身部に特徴があり各階寸法が異なっているものを採用しました。景石は谷川で産出する沢石を主に用い、変化に富んだ石組模様表現しました。井筒は丸型としました。敷砂利及び植栽は「眞の平庭」と同様としました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 三、「草の平庭」の見どころ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 草の平庭図面を閲覧 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 「草の平庭」前に述べたように崩して柔らかくまとめた庭です。したがって建仁寺垣は「行」の建仁寺垣と同様、胴縁及び押縁竹の割間寸法は同じですが天端の振り出し部分が不揃の立子竹となっています。四ツ目垣も立子竹も不揃で、さらに立子竹の節止め、切り放し立子竹となり、吹寄せ胴縁、吹寄せ立子竹等が混用となっています。しかしこの寸足らず、切り放し材等の使用の意味は、現場における有り合わせの資材の活用を目的とした竹垣の制作技法です。ちなみに極めて寂びた草庵には、竹の柱に草葺の屋根と云いますが、これも同様な作事趣向と云えます。延段については自然に丸みをおびた玉石などを使用した石畳技法の「草の延段」としました。手水鉢は露地蹲踞形式とし、水鉢については吾、唯、足、知の文字を刻んだ水鉢としました。石燈籠は夜間の蹲踞使用時の照明等のため背の低い生け込み式の石燈籠としました。組井筒は自然石組としました。また、景石は中流域で採石された丸みを帯びた穏やかな表情の石を使用しました。敷砂利及び植栽は「眞の平庭」と同様としました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 作庭家吉村金男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| スタッフ一同記念撮影 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||